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2019年8月21日

◆面会交流で「苦しむ」子どもたち(弁護士小林徹也)


■面会交流で紛争になる事例が増えているように思います。
面会交流をどのように捉えるべきか,親の権利なのか,子ども自身の権利なのか,いろいろな意見があります。
そして,近年は,これを子どもに重点を置く権利と捉える傾向にあります。
ただ,大量の事例を処理する必要性からやむを得ないとは思いますが,裁判所は,良くも悪くも,面会交流を杓子定規に捉えているように感じます。
例えば,面会交流が問題となると,両親それぞれに,裁判所で面会交流に関するビデオを見るように強く勧めますし,基本的に「面会交流はしなくてよい」などという結論は(暴力などの危険がない限り)決して出しません。
   

■ただ,子どもの「真意」や,真の意味での「利益」を把握するのはとても難しいことだと思います。 
こんなことを言うと,大きな反論が来るかもしれませんが,たとえ専門家と言えども,子どもの「真意」などというものは明確には分からないと思います。 
さらに,子どもの「真意」と,客観的な子どもの「利益」が必ず一致するわけではないことも,問題を難しくします。
正直,法がどこまで介入すべきなのか,介入してよいのか,悩むことも多いのです(それは裁判所も同じだと思います)。
   
  
■こんな風に説明すると,私の言いたいことが分かってもらえるでしょうか。
おもちゃ屋の前で,「あのおもちゃが欲しい」と言って泣き叫ぶ子ども。
この子の「真意」はおそらく「あのおもちゃが欲しい」ということに尽きるのでしょう。 
では,その「真意」のままにおもちゃを与え続けることが,客観的・長期的にみて,この子の「利益」になるでしょうか。
子どもの機嫌を取りたい側は,「これだけ欲しがっているのだから買ってあげよう」と言うかもしれませんし,我慢するという訓練がなされないままに成長することが,この子の「利益」にならないこと考えて,買い与えないという判断をする親もいるでしょう。
それぞれがそれぞれの思惑で異なった主張をしがちなのです。そして,必ずしもどちらかが正しいとは言えないのです。
   
  
■面会交流の際も同様ではないかと思うのです。 
「お母さんを苦しめたお父さんとは会いたくない」と子どもが言った時,その言葉を文字通り受け取って,お父さんに合わせないことが,本当にその子にとって「利益」になるのかどうか。
きちんと自分の父親と向かい合って,欠点も含めて受け止めたほうが,「客観的・長期的」には「利益」になるのではないか,と思うこともあるのです。
ただ,さらに問題を難しくするのは,子どもは,必ずしも,「真意」をそのまま言葉にしない(あるいは出来ない)ことです。
日頃,父親の悪口を言っている母親の手前,父親に会いたくても会いたいとは言えない場合もあります。
逆に,母親が「父親ときちんと向かい合うべき」という方針を持っており,その気持ちを敏感に察する子どもが,会いたくなくても「会いたくない」と言えないこともあります。
   
  
■正直に申し上げると,私自身,依頼者の皆さんとの僅かな打ち合わせなどでは,到底,子どもの「真意」も「利益」も十分には理解できないのです(それは裁判所であっても同様だと思います)。
ただ,このような紛争の中にいる子どもは,多くの場合,その年齢からして,驚くほど,そして悲しいほど,「おとな」です。
   
  
■このように,面会交流の事件について,単に法律家に過ぎない私が,「真の解決」をすることができないかもしれません。
いろいろな問題を提起して,皆さんと一緒に考え,悩むことしかできないと思います。
ただ,それでも何もしないより,一助になりうることを信じて皆さんの相談に乗っているつもりです。

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