2018年3月30日

椿(ツバキ)の花(事務局 I)


私は趣味でレース鳩を飼っていますが、その縁でいろいろな仕事に携わっておられる方と知り合うことがあります。
20代で椿(ツバキ)に魅せられ、京都市内から加茂町に家族で移り住み、ツバキの育種や改良、普及にとりくんでおられる山口椿園の山口さんもそのおひとりです。これまでにはたくさんの苦労があったと思いますが、ほんとうに温厚で、いつもニコニコと穏やかです。
   

桜の花はたくさんの人々が鑑賞する代表的な花の一つですが、それに比べてツバキはよく知られていても鑑賞する人は少なく、「ツバキが満開です」などとテレビで報道されることもめったにありません。
山口さんの話を聞いていて、幼いころのツバキの思い出が蘇ってきました。
私は高校卒業まで、「源頼光の丹波国大江山の鬼討伐」に出てくる大江山の麓の村で過ごしました。人家は山の斜面を切り開いた傾斜地に散在し、傾斜地を横切るように、田んぼに水を引き入れる小さな用水路が通っています。用水路の脇には、これを管理する小道があり、普段は近道として利用されていました。
傾斜地には古くから墓地があり、墓地の下の方にツバキの大樹が群生して、用水路と小道をすっぽりと覆い隠すほどのトンネルをつくっています。
昼間でも陽が遮られて薄暗く、普段は子どもたちも近寄りません。
ところが、雪が解けてツバキの花が咲く3月末から4月の頃、このトンネルに出かけてツバキの花を摘み、その蜜を吸って遊んだ幼いころの、なつかしい記憶です。
   

そんな話から、山口さんに大泉緑地公園(堺市)でのツバキの展示会(と講習会)を教えられ、家から近いので観に行ってきました。
会場にはたくさんの椿(ツバキ)の花や木が展示され、解説文も掲げられていましたので紹介します。
機会があれば、ツバキ花を観賞してみてください。
   

(ツバキとは?)
 暦の上では立春から春の花、この時期を代表する花のひとつ
 ツバキ科ツバキ属の植物の総称
 日本、中国、東南アジアに自生
 日本で最も広く分布するのがヤマツバキ、寒い地域の変種がユキツバキ、この二種の交雑種がユキバタツバキ、チャ(茶)もツバキの仲間
 昔は山の民が里に春の訪れを言い触れる植物
 ツバキの名の由来は、冬でも落葉せず、厚く照りがある葉を持つため、「厚葉樹(アツバキ)「艶葉樹(ツヤバキ)」と呼ばれていたことによる
 18世紀イエズス会の修道士カメルがフィリピンのツバキを紹介したことで「カメリア」の名で、19世紀のヨーロッパで大流行
   

(ツバキの歴史)
 山野に生えるヤブツバキと人の関わりは、5000年以上も前に始まる
 身近にあって、材として、またツバキ油として有用で、生活に欠かせないもの
 ツバキが観賞の対象であるとの記録が奈良時代の「日本書記」にあり、万葉集にもわずかながら詠まれている
(吉野で白花ツバキが見つかり、天皇に献上された)
 鎌倉時代に本格的な観賞対象となる(茶花、生け花、庭木)。それに伴って園芸化がすすむ
 なかでも京都は三方を山丘に囲まれてツバキ栽培に適した地で、優れた品種が多く集まり、金閣寺や大徳寺などには大樹が残った
 豊臣秀吉も大のツバキ好きで、地方の珍しいツバキが献上された
 江戸時代、ツバキ人気は町民にまで広がり、多くの品種が生まれた
 江戸、上方以外の尾張、加賀、越後、山陰、肥後などでも、地方の特色を生かした独自の品種が生まれた
 ツバキ人気は明治以降いったん衰退、戦後ふたたび盛り上がって現在に至る
   

(ツバキの活用)
 古くはさまざまなかたちで活用
 ○材木:堅くて緻密かつ均質、木目は目立たず磨耗に強くて磨り減らないなどの特徴。代表的用途は印材
 ○木灰:日本酒醸造では最高級の木灰、アルミニウムを多く含むので染色にも使われた
 ○木炭:品質が高く、大名の手焙りに使われた
 ○椿油:種子を絞った油、「和製オリーブオイル」とも言われて用途が多い
  高級食用油、整髪料、燃料、油かすは川上から流して川漁に使用
 ○葉のエキスは止血薬
 
(ツバキの言い伝え)
 冬でもつややかな葉が豊かで、真っ赤な花をつけるツバキに、昔の人々は生命力の強さを感じ、霊樹として崇め畏敬の念を抱いていた
 それを裏付ける不思議な逸話が残っている
  鬼を払う卯杖や卯槌をツバキ材からつくった話
  若狭八百比丘尼(わかさやおびくに)のツバキ伝説
  聖徳太子が挿した比叡山延暦寺のツバキ、日蓮が挿した山梨県のツバキ、弘法大師が挿した大分県のツバキなど徳の高い人がツバキの杖を挿し、
  根付いたという言い伝え
  ほかに歳を経たツバキが化けるという言い伝え
   荒れ寺に出る化け物の正体がツバキの木槌(新潟県)
   牛鬼の正体がツバキの古根(島根県)
   狸が化けるときに使う葉がツバキの葉
   

       

   
     

  

2018年3月22日

結婚20年目にして初めて結婚写真を撮りました(事務局R)


お恥ずかしい話ですが、年甲斐もなく40代にして初めてウェディングドレスを着て、写真館で夫と一緒に結婚写真を撮りました。
   
今年のお正月早々に夫と大喧嘩をしまして、今まで子育てに家事・仕事に追われ、自分自身我慢してきたことをお互いに全部吐き出しました。そこで今年は家族みんなそれぞれがやりたいことをしようという事になりまして、私はやりたい事として、今年結婚20年目なので、その記念に結婚写真を撮りたいと言ったところ、すんなり夫も付き合ってくれることになりました。
   
25歳の時に結婚したのですが、知り合って1週間後にいきなりプロポーズされ、1ヶ月後に入籍しました。勢いで結婚したので、結婚式も挙げませんでした。周りからは結婚写真ぐらいは撮ったらとも言われましたが、夫は写真に全く興味がなかったので、結局撮りませんでした。
   
そしてあっという間に結婚して20年目になりました。銀婚式(25年目)や金婚式(50年目)は知っていたのですが、結婚20年目はなんだろうと思ってインターネットで調べたら、磁器(陶磁)婚式でした。磁器婚式とは、磁器のように簡単に壊れない固く結ばれた絆を表しているそうです。結婚記念日1年目は紙で、60年目だとダイヤモンドになり、結婚年数が増えるとだんだん堅い物になるそうです。
   
写真撮影当日、ワクワクしながら写真館に行き、プロの方にメイクとヘアセットをしてもらい、ウェディングドレスを着て、思わずはしゃいでしまいました。ウェディングドレスは意外にサイズが調整できるので、問題なく着ることができました。夫は、ズボンのウエストがピチピチでしたが、なんとかごまかして履いていました。たくさん写真を撮ってもらったのですが、自分で写真を選べないプランだったので、写真が届くまでドキドキしていました。
   
そして3週間後に1枚の大きな写真が届き、恐る恐る台紙を開いてみると、私の目は半開きになっていました。たくさん撮った中でこれが一番マシだったんかなぁと二人で笑いながら見ました。こうして結婚20年目の写真はタンスの奥に仕舞い込まれましたが、夫婦で写真を撮りに行った出来事は、楽しい思い出として残りました。これからも夫婦けんかしてもお互いを尊重しながら、仲良く過ごしていきたいと思います。

2018年2月28日

ありがとうございました(事務局N)


大阪中央法律事務所の就業規則には「子が小学3年生を終るまで1日1時間の育児時間を取得できる」制度があり、私も利用させてもらっています。
   

今春、長女は中学1年生、長男は小学4年生になります。
長女の育児休業より復職後から約12年間(この間に長男出産のために産休、育休を取得させてもらいました)利用させてもらった制度ですがこの3月末で取得終了となります。
   

子どもが小さい時は保育園への送迎、少し大きくなってからは学童への迎え、怪我や病気での通院の際に利用させてもらっていましたが、子どもたちは成長とともに、家の鍵を持って学校に行き、学童から1人で帰宅して私の帰りを待てるようになり、体も丈夫になりました。
年々取得頻度は少なくなりましたが、この制度がなければ、物理的に仕事を続けることが難しい環境にありましたので本当にありがたかったです。
   

私がこの制度を利用し始めた時は「生後1年に満たない生児」が対象でした。
そこから「1歳6ヶ月」「3歳未満」「小学校就学前」「小学3年生を終えるまで」と私たちの要望に応じて段階的に就業規則を変更していただいた事務所には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
これからも私たちが働きやすい環境を整えてくれる事務所であってほしいと思います。
   

2017年12月5日

娘の職場体験(事務局M)


中学生の娘が、学校教育の一環として、2日間にわたり職場体験をしました。
地域の事業所の協力のもと、仕事の厳しさや楽しさ、社会生活のマナーなどを学ぶための取り組みです。
   
職場体験の日を迎えるまでに、自分たちで事業所への連絡や当日の打合せをしたり、履歴書を書いたり、身近で働く人にインタビューをしたりして準備をすすめてきました。
   
まず、「身近で働く人」として、私が娘からインタビューを受けました。
どんな仕事をしているのか・・・から始まり、仕事をしていて感じること、仕事に対する心構えやうれしかったことなど、質問されることに真剣に答えていると、「へ~そうなんだ」「そんなことがあったのか」と言われることも多く、少しはずかしくなりましたが、『何事もあきらめずに一生懸命取り組むことが大事』ということを伝えました。
   
娘は、美容室で職場体験をしました。
   
職場体験の日は、学校に行かず、決められた時間に、自宅から直接お店に向かいます。
実際にお客様がいる中で働くことを体験したので、とても緊張したそうです。
   
私が子どもの頃にはなかった職場体験ですが、体験することでいろんな刺激を受けることができ、今後の進路について考えていくきっかけにもなるかもしれないので、とても良いことだな・・・と思いました。
   
娘がどのような刺激を受け、将来のことを考えることができたのかわからないですが、今後の娘の姿が楽しみです。

2017年10月19日

『第30回 言論の自由を考える5・3集会 「不信」「萎縮」を乗り越えて 阪神支局襲撃事件から30年』に参加して(事務局A)


1 今年の5月3日に、『第30回 言論の自由を考える5・3集会 「不信」「萎縮」を乗り越えて 阪神支局襲撃事件から30年』に参加しました。
集会のコーディネートはジャーナリストの池上彰さんで、パネリストは、作家の高橋源一郎さん、東京工業大学准教授の西田亮介さん、朝日新聞政治部次長の高橋純子さんの3名です。
   

2 始めに、阪神支局襲撃事件のDVD「誓い~弔旗が風に鳴るように~」が上映されました。事件によって亡くなられた小尻知博記者の人柄と事件の背景を知り、事件から30年経った今、増加の一途をたどるヘイトスピーチや言論弾圧に対して、やりきれない気持ちでいっぱいになりました。画面に映し出された「明日(あす)も喋ろう 弔旗が風に鳴るように」という言葉が、私の心に深く刻まれています。
   

3 『(政治家によるメディアへの圧力等による)萎縮』について、池上さんから問われた政治部次長は、「(新聞記者として)政治家に『萎縮』しているとは思わないが、政治家から、より多くの情報をいち速く仕入れるために、気付かないうちに『自制』はしているかも」と述べました。「速報性のあるネットニュースに負けじと、新聞記者はスピード感をもって多くの情報を仕入れようとする。ただ、ネットニュースにはフェイク(デマ)も含まれる。信用度は、ネットニュースと比較して新聞のほうがはるかに高い。フェイクに騙されないで。」と、フェイクニュースを鵜呑みにする危険性について訴えていました。
   

4 参加者からの「若者の政治に対する無関心についてどう思うか」という質問に対して、池上さんやパネリストらが、「若者の社会的関与は増えているが、それが政治に結びついていない。被選挙権の条件である年齢制限や高い供託金が、若者の政治家になる夢を断ってしまうのではないか」と述べました。また、制限のある選挙のビラやポスターのデザインがダサい・海外のように個別訪問できないといった理由も、若者の政治離れの原因ではないか、との考えを示しました。
数年前、私はアメリカで、日曜日のマルシェ(有機栽培の野菜市など)で、「VOTE」と描かれたオシャレなTシャツを着た若者や子ども連れのお母さんたちが、「投票に行こう!」と呼びかけながら各政党の宣伝をしている選挙中の光景を見ました。
また、スウェーデンでの選挙の光景を写真でみたのですが、各政党が、公園に色とりどりのテントを立て、入り口には花壇を作り、公園に集まる市民たちに自家焙煎のコーヒーを振舞いながら、それぞれの候補者たちがテントを訪ねてきた市民と対話するといったものでした。
なんとも自由で楽しそう。日本の選挙は閉鎖的、もっとお祭りみたいにすればいいのに、と感じました。
これからの日本を作っていく若者が選挙って楽しいと思えるように、選挙活動の規制を見直してほしいと思います。
   

5 集会の最後に、パネリストの一人が、「日本が浮き足立っている(北朝鮮が打ち上げたミサイルに対して過剰に反応すること)今だからこそ、一人ひとりがしっかりと報道を吟味し、ファクト(真実)を得る。そして立ち止まって考えることが重要です。」と述べました。私は、北朝鮮がミサイルを飛ばすたびに、過剰に国民の不安を煽る政府に対して、常に冷静でいたいと思います。
   

2017年7月26日

防災・減災ゲーム「クロスロード」に参加しました(事務局R)


最近、テレビをつけていると、テロップで「○○で震度〇の地震がありました」など災害速報が流れることが多く、それを見ると地震や洪水など災害の時に、わが子を守ることができるだろうかと不安に感じていました。かと言って普段は子育てと仕事に追われ、なかなか家庭で防災対策が出来ていませんでした。
   
今回、大阪市ファミリーサポートセンター主催で「クロスロード」というゲームを使った災害対応シミュレーション研修があったので、参加してきました。災害への備えをどうするか、大地震が起こったらどう対応するか。災害が起こった時、日常生活では思いもよらないような「決断すべき場面」に遭遇するのですが、クロスロードは、そんな決断の「分かれ道」を描いたゲームで、阪神・淡路大震災のときの「実話」を元に作られたそうです。設問に対して、イエスかノーかどちらかカードを選んで、カードを裏面で出して、一斉にめくります。そしてどうしてそのカードを出したのか、自分の考えをグループ内で発表します。同じグループの中では、自分一人だけ違うカードだったりしても、他のグループだと逆に自分と同じカードを選んだ人が多かったりすることもありました。やっているうちに気づいたのですが、設問は細かい設定がされていないので、こんな場合だったら、こう判断するよねぇとか、いろんなケースをみんなで考えるようになっていました。そして必ずしも正解があるわけではありませんでした。また参加された方の年齢や今まで経験してきたことの違いによって、人それぞれいろんな考え方があることも知りました。たとえ答えが違っても、その方の意見を詳しく聞いてみると、誠実な対応するための判断だったことがわかり、その思いやりの心に感動しました。
   
防災対策で食材をストックすることが悩ましい問題だったのですが、ローリングストックという方法を教えてもらいました。これは日常生活で使う食材を多めに常備して使いながら、いざという時のために備える、回転させながら備えておくという方法です。これだと賞味期限切れの無駄がなくなります。私も常備する食材を置くスペースを自宅に作らなきゃと思いました。
   
参加された方は防災に意識が高い方が多くて、キーホルダーに笛をつけている方がおられました。もし建物の下敷きになったりしたとき、自分の存在を知らせるために笛が役立つそうで、私も家族と自分用に笛を購入しようと思いました。
   
今回参加して、普段からいろんなことを想定して(例えば災害あったときに、家族と連絡がつかなかったらとか、帰宅難民になったらとか・・・)防災について考えておくことが、災害にあってとっさに判断しないといけない事態になった時に、とても重要なことだと気付きました。

2017年6月30日

『小学校最後の運動会』(事務局N)


先日子ども達が通う小学校で運動会がありました。
6年生の長女は小学校最後の運動会でした。
   

6年生の運動会は組体操がメインになる学校が多いようです。
長女の学校もそうでした。
6年生になってすぐに、倒立やブリッジ、2人技や3人技等の数人技の練習が始まって毎日砂だらけになって帰って来ました。
6年生の中では小さめな長女は数人技では上に乗せてもらうことが多く、落ちてできた傷や打ち身も増えていきました。
   

世間で組体操の巨大ピラミッドが問題視されている中、長女たちは男子(72人)で1体、女子(84人)で1体のピラミッド作りに挑戦しました。
長女は一番上に乗りたいと立候補したようですが、他の技で上に乗せてもらっているものが多いとの理由で上から2番目に・・・。
   

組体操の最後、このピラミッドを成功させた子ども達は「ありがとうございました!!」と誇らしげに観客に向かってお礼を言っていました。
練習を頑張ってみんなで作り上げた組体操が、長女の最高の思い出になったことと思います。
   

ついこの前小学校に入学し、小学校で初めての運動会を迎えたばかりと思っていましたが、成長した長女の姿を見て感動の涙が溢れた「小学校最後の運動会」でした。

2017年3月30日

『娘の反抗期と思春期』(事務局M)


中学生の娘は、反抗期と思春期を迎えています。
中学校生活は楽しく過ごしているようなので安心しているのですが、家の中では娘との距離感をうまくつかみきれず、ギクシャクすることがあります。
干渉しすぎると「うっとうしい」と言われ、ほっておくと「寂しい」という感情を出してきます。
   

今まで全く気にしていなかった容姿のことや、今までならすんなり受け入れられていたことなどが受け入れられなくなり、「もう、イヤや」と言い出して、どうにもならない、自分で処理することが出来ない、そんなイライラなどを私にぶつけてきたり…。
それに対し、私の方も態度の悪さに腹が立ち叱ると、「うるさい!」と言って部屋を出て行ってしまったり…。
   

どうしたものか…と考えた結果、まずは、娘が何に悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか、それを娘の言葉で吐き出させること。泣き出したなら、泣き止み、落ち着くのを待って話を聞くことにしようと思いました。
   

正直、私も疲れていることはあります。「もう何で?」とイラッとしてしまうこともあります。でも、今娘が苦しんでいるときに向き合ってあげなければ、この子は今の状況から抜け出せず、何事も投げやりになってしまうのだろうな…と思うと、向き合わないわけにはいかず…。
   

娘の方からは色んなパターンで私たちに意思表示をしてきます。
それがどんなサインなのか、どう導いてあげたら良いのか、試行錯誤する毎日です。
   

2017年3月7日

~いのちのバトン、受け継いで~(事務局T)


昨年末、大好きだった父が急死しました。
共働きだった我が家は、父が保育園の送迎や学校の参観日、個人懇談へ来てくれることが多く、高校・大学の入学式にも母を差し置いて行きたがって嬉しそうに付いて来たり、何かにつけいつもそばで見守っていてくれました。
そんな当たり前のように頼りにしていた存在を突然失い、まだ現実を受け止め切れないままでいます。
私も子を持つ親となりましたが、まだまだ未熟で、進むべき道に思い悩むこともあり、そんな時に気軽に相談できる存在がいなくなってしまったこと、今まで温かく応援してくれた存在がいなくなってしまったこと、これからの私に何を望んで、何を残そうとしてくれていたのかわからないこと・・・不安ばかりが募り、また父自身もっともっとしたいことがあったはずなのにできなかった、してあげられなかったこと・・・後悔ばかりが残り、考え出したら切りがないほど、ぽっかりと心に穴が開いてしまいました。
詩や文章を書くことが好きだった父なので、もし自分の死が近いことを知っていれば、何か書き置きを遺したはずだと思うのですが、突然の出来事で何も見つからず、父が元気だった頃に送ってきたメールや手紙、そして大好きだった相田みつをさんの詩集を読み返し、私の指針となるような父の遺したかったことばを探してみています。
   

~ 相田みつをさん著書より抜粋 ~
* 生きていて楽しいと思うことの一つ それは人間が人間と逢って 人間について話をする時です
* あのね 自分にとって一番大切なものは 自分のいのちなんだよ だからすべての他人のいのちが みんな大切なんだよ
* 過去無量のいのちのバトンを受けついで いまここに自分の番を生きている それがあなたのいのちです これがわたしのいのちです
* しあわせは いつもじぶんのこころがきめる
* つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの
* どのような道をどのように歩くとも いのちいっぱいに生きればいいぞ
* 一歩が大事 どんなに小さくても いま、ここ、の 具体的な一歩が大事
   

父が生前、「この曲、いいなぁ」と言っていた楽曲があります。
~ 作詞:秋元康さん 歌:AKB48 ~
人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでいくよ 風の中を力の限り ただ進むだけ
その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ さあ心のままに 365日
   

十数年前に大病を患った後、復帰した父に私が「これからの人生、思いっきり楽しんで!」と手紙を書いたことがあり、それに対して、父は私の結婚式で「その言葉を君に返そう。これからの人生、思いっきり楽しんで!」とメッセージを送ってくれたこともありました。父は私の言葉を受け取り、きっと思いっきり人生を楽しんで、駆け抜けていったのではないかと思います。
父の遺してくれたことばや、伝えたかったであろうメッセージ、人とのつながりを大切にする気持ち、そして数え切れないほどたくさんの思い出をいつまでも心に秘めて、私も子ども達に大切ないのちを繋ぎ、父の分まで人生を思いっきり楽しんで生きていこうと思います。

2017年2月9日

『寝屋川 ふれ愛子ども食堂』(事務局A)


当事務所の弁護士から、寝屋川市でも『子ども食堂』が行われていることを聞きました。
全国各地で、NPO法人が運営している『子ども食堂』があるということは、新聞やニュースなどで知っていました。
様々な事情で、家でご飯を食べられない子どもたちがこの食堂に集まり、みんなで食事や宿題をしたり、お風呂に入ったりしていました。
食事は近所に住んでいる主婦たちが作り、そして、子どもたちの宿題を見たり勉強を教えたりするのは学生さんたちです。またお年寄りが子どもたちと一緒に囲碁や将棋を楽しんでいました。
   
子どもたちに食事を作っている主婦が、「(自分の)子どもが手を離れてしまったので、ここに来て食事を作り、おいしそうにご飯を食べている子どもたちの顔を見るのが楽しみ。」と、大きな口を開けてご飯をかきこみながらテレビに向かって嬉しそうにピースサインをしている子どもたちを見ながら、笑顔でインタビューに答えていたのが印象的でした。
またお年寄りも「私もここに来るのが楽しいです。私が子どもたちから元気をもらっています」と、子どもと将棋をしながら話していました。
夜になると、塾帰り(おそらく)の子どもたちもどんどん集まり、大きな声で「お腹すいた~。今日、何ぃ~?」と子ども食堂に駆け込んできているのを観て、こみ上げてくるものがありました。
灯りの点いた家に帰り、みんなで温かいご飯を食べる、日常のごく普通の風景ですが、様々な事情で「普通」ができない家庭が数多くあります。
   
私は共働きの家庭で育ちましたが、母親は忙しい中、料理だけは手抜きをしませんでした。
今でも、ふと「お母さんが作ってくれたバターが染み込んだロールパンおいしかったなぁ」とか、「風邪で寝込んだときに作ってくれたオレンジゼリーおいしかったなぁ」と思い出します。特に、自分が何かに悩んで行き詰まったとき、母親が作ってくれた料理を思い出すと気持ちのもやもやが消えていきます。手作り料理の大切さを身にしみて感じています。
   
貧困の格差が増す日本で成長していく子どもたちが将来、何かに行き詰ったとき、「子ども食堂」で食べたご飯や、将棋や勉強を教えてくれた人たちを思い出して、少しでも前向きになってくれるように、私は私がこの「子ども食堂」にできることをしてあげたいと思います。

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