中学生の娘は、反抗期と思春期を迎えています。
中学校生活は楽しく過ごしているようなので安心しているのですが、家の中では娘との距離感をうまくつかみきれず、ギクシャクすることがあります。
干渉しすぎると「うっとうしい」と言われ、ほっておくと「寂しい」という感情を出してきます。
今まで全く気にしていなかった容姿のことや、今までならすんなり受け入れられていたことなどが受け入れられなくなり、「もう、イヤや」と言い出して、どうにもならない、自分で処理することが出来ない、そんなイライラなどを私にぶつけてきたり…。
それに対し、私の方も態度の悪さに腹が立ち叱ると、「うるさい!」と言って部屋を出て行ってしまったり…。
どうしたものか…と考えた結果、まずは、娘が何に悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか、それを娘の言葉で吐き出させること。泣き出したなら、泣き止み、落ち着くのを待って話を聞くことにしようと思いました。
正直、私も疲れていることはあります。「もう何で?」とイラッとしてしまうこともあります。でも、今娘が苦しんでいるときに向き合ってあげなければ、この子は今の状況から抜け出せず、何事も投げやりになってしまうのだろうな…と思うと、向き合わないわけにはいかず…。
娘の方からは色んなパターンで私たちに意思表示をしてきます。
それがどんなサインなのか、どう導いてあげたら良いのか、試行錯誤する毎日です。
昨年末、大好きだった父が急死しました。
共働きだった我が家は、父が保育園の送迎や学校の参観日、個人懇談へ来てくれることが多く、高校・大学の入学式にも母を差し置いて行きたがって嬉しそうに付いて来たり、何かにつけいつもそばで見守っていてくれました。
そんな当たり前のように頼りにしていた存在を突然失い、まだ現実を受け止め切れないままでいます。
私も子を持つ親となりましたが、まだまだ未熟で、進むべき道に思い悩むこともあり、そんな時に気軽に相談できる存在がいなくなってしまったこと、今まで温かく応援してくれた存在がいなくなってしまったこと、これからの私に何を望んで、何を残そうとしてくれていたのかわからないこと・・・不安ばかりが募り、また父自身もっともっとしたいことがあったはずなのにできなかった、してあげられなかったこと・・・後悔ばかりが残り、考え出したら切りがないほど、ぽっかりと心に穴が開いてしまいました。
詩や文章を書くことが好きだった父なので、もし自分の死が近いことを知っていれば、何か書き置きを遺したはずだと思うのですが、突然の出来事で何も見つからず、父が元気だった頃に送ってきたメールや手紙、そして大好きだった相田みつをさんの詩集を読み返し、私の指針となるような父の遺したかったことばを探してみています。
~ 相田みつをさん著書より抜粋 ~
* 生きていて楽しいと思うことの一つ それは人間が人間と逢って 人間について話をする時です
* あのね 自分にとって一番大切なものは 自分のいのちなんだよ だからすべての他人のいのちが みんな大切なんだよ
* 過去無量のいのちのバトンを受けついで いまここに自分の番を生きている それがあなたのいのちです これがわたしのいのちです
* しあわせは いつもじぶんのこころがきめる
* つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの
* どのような道をどのように歩くとも いのちいっぱいに生きればいいぞ
* 一歩が大事 どんなに小さくても いま、ここ、の 具体的な一歩が大事
父が生前、「この曲、いいなぁ」と言っていた楽曲があります。
~ 作詞:秋元康さん 歌:AKB48 ~
人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでいくよ 風の中を力の限り ただ進むだけ
その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ さあ心のままに 365日
十数年前に大病を患った後、復帰した父に私が「これからの人生、思いっきり楽しんで!」と手紙を書いたことがあり、それに対して、父は私の結婚式で「その言葉を君に返そう。これからの人生、思いっきり楽しんで!」とメッセージを送ってくれたこともありました。父は私の言葉を受け取り、きっと思いっきり人生を楽しんで、駆け抜けていったのではないかと思います。
父の遺してくれたことばや、伝えたかったであろうメッセージ、人とのつながりを大切にする気持ち、そして数え切れないほどたくさんの思い出をいつまでも心に秘めて、私も子ども達に大切ないのちを繋ぎ、父の分まで人生を思いっきり楽しんで生きていこうと思います。
当事務所の弁護士から、寝屋川市でも『子ども食堂』が行われていることを聞きました。
全国各地で、NPO法人が運営している『子ども食堂』があるということは、新聞やニュースなどで知っていました。
様々な事情で、家でご飯を食べられない子どもたちがこの食堂に集まり、みんなで食事や宿題をしたり、お風呂に入ったりしていました。
食事は近所に住んでいる主婦たちが作り、そして、子どもたちの宿題を見たり勉強を教えたりするのは学生さんたちです。またお年寄りが子どもたちと一緒に囲碁や将棋を楽しんでいました。
子どもたちに食事を作っている主婦が、「(自分の)子どもが手を離れてしまったので、ここに来て食事を作り、おいしそうにご飯を食べている子どもたちの顔を見るのが楽しみ。」と、大きな口を開けてご飯をかきこみながらテレビに向かって嬉しそうにピースサインをしている子どもたちを見ながら、笑顔でインタビューに答えていたのが印象的でした。
またお年寄りも「私もここに来るのが楽しいです。私が子どもたちから元気をもらっています」と、子どもと将棋をしながら話していました。
夜になると、塾帰り(おそらく)の子どもたちもどんどん集まり、大きな声で「お腹すいた~。今日、何ぃ~?」と子ども食堂に駆け込んできているのを観て、こみ上げてくるものがありました。
灯りの点いた家に帰り、みんなで温かいご飯を食べる、日常のごく普通の風景ですが、様々な事情で「普通」ができない家庭が数多くあります。
私は共働きの家庭で育ちましたが、母親は忙しい中、料理だけは手抜きをしませんでした。
今でも、ふと「お母さんが作ってくれたバターが染み込んだロールパンおいしかったなぁ」とか、「風邪で寝込んだときに作ってくれたオレンジゼリーおいしかったなぁ」と思い出します。特に、自分が何かに悩んで行き詰まったとき、母親が作ってくれた料理を思い出すと気持ちのもやもやが消えていきます。手作り料理の大切さを身にしみて感じています。
貧困の格差が増す日本で成長していく子どもたちが将来、何かに行き詰ったとき、「子ども食堂」で食べたご飯や、将棋や勉強を教えてくれた人たちを思い出して、少しでも前向きになってくれるように、私は私がこの「子ども食堂」にできることをしてあげたいと思います。
11月中旬の土曜日、NHK大河ドラマ「真田丸」で有名な「九度山」の街と町石道を歩いてきました。
(九度山道の駅)
企画は組合山部、当日は南海高野線「九度山駅」に8時30分集合。
まずは「九度山道の駅」に立ち寄り、地元特産物と昼食の下見。柿の葉ずしの本場なのでその種類は豊富です。
(真田庵から慈尊院、丹生官生符神社)
真田親子が隠遁生活を送った「真田庵」から「慈尊院」へ。「慈尊院」は、弘法大師の母がひと時を過ごしたそうですが、高野山統治の政所でした。
高野山への町石道は「慈尊院」から始まります。「慈尊院」から「丹生官生符神社」に続く長い階段の途中、右手に180番目の町石(ちょういし)と呼ばれる石柱が建っています。石柱に刻まれた数字は、高野山に近づくにつれひとつずつ小さくなり、「奥の院」までの間に合計216基の町石があります。
ちなみに、この石柱は高さが3メートル、1町(約109メートル)毎に建てられているので、高野山「奥の院」までの道のりは約24Kmとなります。
「丹生官生符神社」を出ると、なだらかな勾配の山道が続き、両側には柿畑が広がっています。
(展望台から丹生都比売神社)
しばらくして展望台に着くと、眼下にはゆったり流れる紀ノ川と九度山の町が広がっています。はるか右前方には葛城山、金剛山などの山並みが望めます。
展望台を出発すると道は勾配を増して、額から汗が流れ落ち、喉の渇きも気になりはじめたころ、道端に無人販売所がありました。みかんや柿を売っていますが、自由に食して下さいと無料のみかん、柿もたくさん置いてありました。登山者へ
の心遣いに感謝し、次の目的地である六本杉(136町石)を目指しました。
急勾配を登り切り、町石道が平らになったあたりから雨が降りはじめ、計画を変更して丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、世界文化遺産)へ向うことに。
丹生都比売神社に着く早々、地面が揺れて携帯電話が鳴りました。和歌山南部で発生した地震警報でした。
(九度山道の駅、真田ミュージアム)
昼食は、下見した「九度山道の駅」でとることにして、路線バスで引き返しました。道の駅で、さばやじゃこの柿の葉すし、焼き鳥、シュウマイなども買い求めての賑やかな食事会でした。
お腹も満たされたあとは、「九度山・真田ミュージアム」に立ち寄り歴史の勉強です。決して大きくない建物ですが、それでも一巡するには1時間程かかりました。来館者は、その言葉から、北陸、山陰、瀬戸内や東海地方など広域から訪れているようでした。ちなみにミュージアムの会期は29年2月末までです。
町石道の3分の1ほどのハイキングでしたが、歩くことで心身ともにリフレッシュし、日ごろの不摂生な生活を見直すよい機会になりました。
これからも機会あるごとに、ハイキングや山登りに出かけ楽しみたいと思います。
丹生官生符神社境内の紅葉 慈尊院
今年6月にスマホ(スマートフォン)デビューしました。ガラケー(普通の携帯電話)は料金が安いので良かったのですが、友達とメールでやり取りをするのに機能面で限界を感じたのでスマホに変えることにしました。
SNSとはインターネットのネットワークを通じて人と人がつながることを促進・支援するコミュニティ型サービスのことで、最近私はフェイスブックとラインにハマっています。フェイスブックは、ふたごじてんしゃ(双子を乗せることができる3人乗り自転車)がどうしても欲しかったので登録しました。ラインは、中央区のふたごの会や障がいのある子を持つママさんの会に入るために登録しました。それまでメールしか利用していなかった私にとって、ラインしか利用していない双子のママさんには衝撃を受けました。フェイスブックもラインも分からないことだらけで最初はとても怖かったのですが、周りの人たちにいろいろ教えてもらいながら、やっと使えるようになりました。
SNSのいろんな人の書き込みを見ると、毎日いろんな人がいろんな活動をしていて、それを読んでいるだけで、とても元気をもらいます。移動中やちょっとした待ち時間に、スマホで見たりコメントを書き込みしたりできるので、忙しい子育て中のママにはとてもありがたいツールです。
更にSNSの素晴らしいところは、なかなか出会えない人たちとつながることができたことです。双子でしかも障がいのある子を持つママさんは、世間一般的には少数派ですが、SNSのおかげで大阪にも同じ状況のママさんがいることを知り、出会うことができ、お互いに助けたり助けられたりしています。最初に出会ったのはSNSでありインターネット上ですが、実際に行なわれているイベントに参加したり、双子ママさんと個人的に会ったりして交流を楽しんでいます。
SNSを始めるまでは、ハイテクで無機質なもので、漠然と怖いというイメージがありましたが、始めてみると人の温かさや優しさを感じるコミュニティサービスでした。
小学2年生の長男は4月からロボット教室に通っています。
長男の通うロボット教室は、2人1組で教育用のレゴブロックを使って約1時間かけてテキスト通りにロボットを製作し、その後約1時間パソコンを使ってそのロボットのプログラミングをします。
数々のミッションがありそのミッションをクリアするために、試行錯誤を繰り返しながらパソコンに向かい、何度もロボットの動作確認をします。
レッスンの最後にはみんなの前で自分たちが製作、プログラミングしたロボットを披露します。9月からは披露した後に、成功点、反省点等を発表するプレゼンテーションが始まりました。
1回のレッスンは3時間。
長男は集中力がないので、3時間ものレッスンをこなせるのか心配していましたが、本人にとってはあっと言う間の3時間のようで楽しそうに通っています。
時にはミッションをクリアできずに悔しくて泣いてしまうこともありますが、プログラミングやプレゼンテーション等、私が子どもの時には経験できなかったことを楽しんでいる長男の姿を見て『将来はロボコンに出場するような理数系に強い男の子になってほしいなぁ』と私が夢を膨らませています。
長男は今、このロボット教室も含め様々なことに興味を持ち「あれもしたい。これもしたい」と普段の習い事に加え、休みの日には色々な体験教室に行っています。
長男は何に向いているのか、何なら続けられるのか。
私の時間が許す限り長男に付き合って、一緒に将来の夢をみたいと思っています。
小学3年生の長男がミニバス(ミニバスケットボール)を始めました。
初めて体験する夏の体育館。
サウナのような暑さの中、高学年のお兄ちゃんたちに教わりながら、朝から夕方まで練習に励んだ夏休みも終わりです。
ただその場にいるだけで汗だくになる中で、監督やコーチに怒られながらも一生懸命に走りまわる子どもたち。
思うようにいかない自分に苛立ちながらもボールを追いかけ、他のメンバーと協力しながら、1本のゴールを決めようとする子どもたち。
猛暑の中、いくつもの試合を重ね、精神的にも肉体的にも頑張っている子どもたちの姿を間近で見ていると、小学生とは思えないパワーを感じます。
うまくいかなくても、最後まで諦めず、涙を流しながらも攻めていく姿。
1本のゴールが決まった時の喜ぶ姿。頑張り抜いて得た勝利後の笑顔。
すべてが輝いています。
毎週土日の練習で、私の休日はほとんどなくなりましたが、そうして頑張っている子どもたちを支えてあげたい、夢中になれるものを見つけ出したかも!?しれない長男を支えたい…。
私の父が言いました。
私の弟が高校で野球部に入ってからは、母は暑い日も寒い日も毎回応援に駆けつけていたと…。だから、頑張れと。
長男はまだ小学生ですが、私も夢中になりながら、自分の体にムチ打って、今後もサポートしていきたいと思っています。
今年度は自治会役員に当たっていて、先日、三木市にある「兵庫県広域防災センター」へ行き、校区自治会主催の研修会に参加してきました。昨年、家族旅行で訪れた熊本県で、今年4月に大地震があり、満喫した熊本城や阿蘇エリアが損壊している映像を見て、いつ、どこで災害に遭遇してもおかしくない状況にあることをとても身近に感じたこともあって、専門の研修を一度じっくり受けてみようと思いました。
兵庫県全域の防災拠点であり、消防学校の機能も備えた広大な防災センターでは、東日本大震災時の談話をお聞きしたり、震度7の関東大震災の揺れを体感したり、火災を想定した暗闇・煙(水蒸気で模擬)の空間での避難を体験させてもらいました。そこで痛感したのが、大きな揺れや火災が起こった場合、パニックに陥ってしまい、素早い判断や行動ができないだろうということでした。
でも、センターの指導員の方は、とにかく「自分の身を守ること=自助」が第一だと強調されていました。日頃から家族みんながまず自分自身の安全を確保することを共通認識しておく必要があることを改めて知らされました。
そして次に、「地域で協力し合い避難・生き抜く=共助」が重要となってきます。私の住む地域でも少子高齢化が進み、異なる年代の方々と交流する機会がなかったり、同じ子育て世代でも付き合いが希薄になりつつあり、ご近所にどういった方が住まわれているのか知らずに生活している状況です。そんな中で、何か起こったときの「共助」がうまく実行できるのか、少し不安に感じましたが、この防災研修会を始め、毎年、校区の防災訓練や夏祭りなどの行事ごとを企画・運営してくださっている校区自治会の役員さんの意識の高さに感心もしました。
私は今年度、180軒あまりの地域自治会の役員で、「地域交流委員」という役割を担当していますが、何かあったときにお互いが協力し合える関係を築いておくためにも、お年寄りから子どもまで、色んな人達同士がふれ合える機会をつくろうと、ただ今、奮闘中です。そんな小さな交流でも、校区自治会の大きな活動の一躍になり、今後起こり得る様々な問題に対して、校区全体で取り組んでいける体系づくりができればいいなあと思っています。
今年は結婚15周年、この地域に住んで15年(実家で過ごした期間も入れると35年)になります。子ども時代に過ごして感じたこと、結婚して住んでみて感じたこと、子どもを生み育てていて感じていること、それぞれに色んな思いがありますが、とにかく、生きていくには人とのつながりが何より大切だということです。地域には色んな年代・考え方があり、時にはバトルになることもありますが、お互いの違いを認め合い、共有し合い、助け合いながら、みんながこの地域に住んでよかったと思える町づくりに、私も微力ながらまだまだがんばっていくつもりです。
~手作り作品第5弾・キャラ弁~
「がんばれ!くまモン!!」の祈りを込めて♡
先日、新聞社が行っている『語彙・読解力検定』を受検してきました。
この検定は、
①辞書語彙 文章や会話を理解し、的確に表現するために必要な語句の知識と語彙の運用力を確認。
②新聞語彙 社会への視野を広げ、世の中の動きをとらえるために必要な語彙や知識を確認。
③読解力 現代社会で起きている事象を正しく理解するスキルを確認
の三つから構成されています。
レベルは4級から1級まであり、私は、2級(高校卒業から大学レベルの語彙力読解力)を受検しました。
これまでは、なんとなく新聞の記事を読み流したり、自分が興味を持つ記事だけを読んだりしていたのですが、最近は、記事の中で意味がわからない語彙が出てきたら調べる、なんとなくニュアンスはわかるけどきちんと人に説明できない言葉は調べる、ということを心がけて読むようにしています。
自分の考えや思いを人に伝えたいときに、もっと的確な言葉があるはずなのに頭に浮かんでこない、そんなときは、インターネットで「○○ 同義語」と調べると、自分が伝えたい言葉と同じような意味を持つ言葉やことわざや四字熟語がたくさんでてきます。あまりにも自分の語彙力がないことを痛感。
新聞記事でも、ちょっと文章が長くなったり、難しい記事だと、途中で読むのを辞めてしまうこともありましたが、最近は、読解力をつけるために最後まで読みきるようにしています。
自分なりの努力がどこまで実を結んでいるのかを試そうと思い、受検しました。時期尚早ですが・・・。
受検中、やはり長文問題で頭をかかえてしまい、90分間があっという間に過ぎてしまいました。
結果は、7月下旬ころに判明します。
さて・・・。
(事務局A)
吉野-みたらい渓流
吉野-みたらい渓谷
5月14日(土)、財団法人堺市勤労者福祉サービスセンター主催の「健康ウオーク」に参加して吉野のみたらい渓谷を歩きました。(「みたらい」は「御手洗」と書きます。)
みたらい渓谷遊歩道は、天川川合バス停の先から天ノ川、山北川に沿って洞川温泉に続く7キロほどのコースです。新緑の中、渓谷を眼下に望みながら歩く気分は最高でした。静かな中、カジカやカワセミの鳴声も聴こえてきました。
白く水しぶきをあげて流れ落ちる滝が涼しさを誘っていました。
遊歩道の途中には急勾配の登りがいくつかあって、一気に登ることは無理でした。休憩をとりながら登りきりました。
同行の中に、息子さんと一緒の87才の男性がおられましたが、昼食をはさみながら、元気に洞川温泉まで歩かれました。
私は70代半ばのご夫婦と一緒に歩きましたが、ご主人は途中でリタイア。
しかし奥さんの方は洞川温泉に着いたあとも、温泉街の散策に出かけられるほど元気な様子でした。尋ねると機会ある度に、ハイキングを愉しんでおられるそうです。やはり、歩くことは健康の素、私もハイキングなど歩く機会を増やそうと思いました。
コースの途中で、洞川温泉から下ってきた20人ほどの海外からのグループと行き交いました。みな軽装ですがハイキング姿、「こんにちは!」と笑顔で挨拶を交わしました。一瞬の挨拶でしたが、和んだ気分になりました。
また、途中から神戸の山岳会会員で、毎週のようにハイキングや山に出かけているという婦人と一緒に歩くことになりました。この方は兵庫の100名山も踏破され、山岳会の活動にも参加されて豊かな経験を持っておられました。歩きながら聞かせていただいた話は、自分が歩いていることも忘れるほど愉しいものでした。あとで分かったことですが、この方は私を同行のグループの一員と勘違いされていたようです。
日常の生活では話したり知合う機会のない人たちと、短い時間ですが一緒に歩き、絶景に感動したり話したりすることの愉しさ、これもハイキングの魅力だと思います。
次は6月中旬、雨の大台ケ原に行く計画です。
(事務局I)