■会社社長を相手とする婚姻費用の請求
自分で会社を作り,代表取締役を務めている夫を相手方として,妻の代理人として婚姻費用請求の申立を行いました。
相手方は,一応,会社から給料をもらっているという形をとっており,その資料として源泉徴収票を提出してきました。ただ,ゴルフ代や自家用車についても会社の経費として会社経理から支出しているようであり,源泉徴収票の金額だけが収入とするのは到底不合理なものでした。
■夫の生活状況について出来る限りの証拠を提出
ところが,通帳などもすべて相手方である夫が握っており,こちらは明確な資料が出せません。
そこで,夫の生活状況(持っているブランド物の衣服の写真,ゴルフに行っている写真など)を出来る限り提出し,「この収入でこんな生活ができるはずがない」と訴えました。
話し合い(調停)では結論が出ず,家庭裁判所に決めてもらうこと(審判)になったのですが,裁判所は,「夫の収入はもっと多い」という判断はしてくれなかったものの,夫も認めざるをえない様々な事実を根拠に,源泉徴収票から認められる金額よりもはるかに多い婚姻費用を認めてくれました。
■時には「血も涙もある」裁判所
一般の方は,裁判所は,数字を公式に当てはめるように,形式的に事実を法律に当てはめて結論を出していると思われるかもしれません。法律には,そのような計算式が定められていると思っている方も多いように思います。
ただ,私のこれまでの経験からすると,(もちろんいつも,というわけではありませんが)裁判所なりに,「この人を救わなくてはいけない」と考えると,少々理屈を曲げてでも,結論を出すことがあります。つまり,まず「この人を救う」という結論から理屈を考えるのです。
これは決して不当なことではありません。
法律はすべて,憲法13条の「個人の尊厳」を守るためにあります。つまり個人が尊重される結論でなければならないのです。
仮に,形式的な法律の適用がこの結論に沿わないなら,実質的にできるだけこの結論に合うような解釈を行うことはある意味当然なのです。
■そこで,私は,裁判所に対して,法的な理屈や,その根拠となる証拠だけでなく,「どうしてこの人を救わなくてはいけないのか。この人を救わないことが個人の尊重という原則に反している。」といったことも積極的に訴えるようにしています。
この件でも,(守秘義務の関係で詳細は言えませんが)理屈とは直接には関係ない相手方の不誠実な態度,それに対して妻である依頼者が出来る限り誠実に対応してきたこと,を訴えました。
そのような訴えに対する答えは,判決の表面には決して現れませんが,よく読むと,裁判官なりの「良心」が現れているような気がします。