離婚事件は近年増加の一途をたどっていますが、特に対応が難しいのは、離婚して親権を手放すことになる方の親と子どもの「面会交流」の問題です。
以前は「面接交渉」という言葉が一般的でしたが、ちょっとかた苦しい言葉のためか、最近は「面会交流」という言葉が主流となっており、平成23年の法改正で法律にも「面会及びその他の交流」という表現が加わりました(民法766条)。
最近私が担当したある離婚事件では、私は母親側の代理人でしたが、父親側は子どもの親権を手放すことにはしぶしぶ同意したものの、定期的な面会交流を強く求めていました。しかし母親は、子どもを父親に会わせることに強い抵抗感をもっていました。
結果的には、半年に1回の面会交流を行うこととし、また、1回目に限り、子どもたちが遊んでいる様子を父親が遠くから見守るだけにする、という、ちょっと異例の決着となりました。母親の言い分をかなり尊重してもらった結果ですが、父親の側も、子どものことを真剣に考える姿勢を示したためにこのような結果につながったといえます。
離婚して親権を手放した親が、離婚後も子どもと定期的に面会交流をすることは、子どもの成長にとって重要です。夫婦が離婚するときは、子どものために円滑に面会交流ができるよう配慮することが大切です。
もっとも、面会交流は、あくまで子どもの健全な成長に好ましいと考えられるからこそ認められるものですから、面会交流を行うことが子どもにとって大きな負担となるようなときは、無理に面会交流をすべきではないと思います。ある元家庭裁判所裁判官も、「強く反対する親権者の意思に反して面会交流を強行した結果、子どもの心に大きなダメージを与えてしまったケースがある」と指摘しています。
ところが、弁護士や家庭裁判所の調停委員の中には、「親(または子)には、面会交流を求める権利がある」と当然のように考えている人もおり、対応に苦労することがあります。
アメリカなどのように、離婚後も両方の親が共同で親権を持つのが原則とされているならば、面会交流を「親(または子)の権利」と構成することも可能でしょうが、離婚したときは一方の親のみが親権を持つとされている日本の法制度の上では、面会交流を控えるべき場面があることはやむを得ないところでしょう。
■裁判の場で「謝罪」させるのはやはり難しい・・・
医療事故に遭われた被害者の方が裁判に訴えようとするとき、原告となる方が抱く思いはさまざまです。
最も多いのが、「お金を払ってほしいわけじゃないんです。ただ、対応にミスがあったことを認めて、きちんと謝罪してほしいんです」という訴えです。このような被害者の方の思いは、裁判所に通用するのでしょうか。
残念ながら、裁判の場で医療機関に謝罪してもらうことは、なかなか難しいのが現状です。その理由は、「お金を払う」のであれば、裁判所が「差し押え」などの方法で強制することが可能ですが、「謝罪する」という行為は、裁判所が強制することは出来ないからです。
■まれに、「謝罪」が実現するケースもある!
ここで、私(高木)が経験したケースをご紹介しましょう。
被害者の方は、脳梗塞を発症したため、会社を休んで病院に入院していましたが、後遺症は軽度で、自力で動き回ったり会話をすることも十分可能な状態でした。
ところがある晩、脳梗塞が再発し、その当時の当直医の対応に不手際があったことも影響して、その方は重い後遺症が残ってしまいました。それ以後、明瞭な会話は難しくなり、また、自力で動き回ることも難しくなりました。会社へ復帰する夢も絶たれてしまいました。
この事件で、病院側は、当直医の対応にやや問題があったことは否定しなかったものの、法的責任を認めなかったため、裁判になりました。裁判では、当時の当直医の対応のまずさと後遺症の発症の間に因果関係があるか、が最大の争点となりました。医学的には、仮に当直医が適切な対応をしていたとしても、脳梗塞の再発は避けられなかった可能性があったからです。
裁判所は、別の医師を呼んで参考意見を聞きましたが、この医師も、当直医の対応のまずさと後遺症の発症の間に因果関係があるとは言い切れない、という意見を述べました。したがって、もしこのまま判決を受けていたら、被害者側が敗訴した可能性もかなり高かったといえるでしょう。
しかし裁判所は、「病院が適切な対応をしてくれていれば、仮に後遺症が残ってしまったとしても納得できただろうに・・・」という被害者の悔しい思いを受け止め、和解を強く勧告したのです。判決になれば被害者側が敗訴していた可能性が相当高かったことからすれば、裁判所の和解勧告は、何とか被害者の思いに答えようとした姿勢の表れといってよいでしょう。
結局、病院側も裁判所の説得に応じ、一定の金額(決して十分な額とはいえませんでしたが・・・)を払うことで和解することになりました。
そうすると、次は具体的な和解条項を確定していくわけですが、当初裁判所が示した和解条項の案では「○○病院は、本件について遺憾の意を表明する」となっていました。
これに対しては、当方から、「遺憾」は単に「残念だ」というだけの意味にしかならず、被害者の思いに十分答えたものではないので、明確に「陳謝する」という謝罪の言葉を入れてほしい、と強く主張したところ、裁判所もこれに応じ、さらに病院側もこれを受け入れました。
こうして、法的な因果関係が不明であるにもかかわらず、「陳謝する」という言葉の入っためずらしい和解が成立したのです。
■新たな第一歩のために
和解が成立したとき、被害者の家族の方は裁判官に向かって「これから家族みんなで前向きに生きていきます」と深々とお辞儀をされました。
これに応じて、担当裁判官も、「この和解成立が、ご家族の新たな第一歩になることを祈っています」と頭を下げられました。
被害者の方とそのご家族にとって納得のいく解決となり、私自身も安堵した瞬間でした。